雑記ぃド byザクχ

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聖書から教わった事メモ 煮

ざっく~(´っ・ω・)っ

更新日:2025/05/22

 

新しい記事に交代。前記事は👇

zakux.hateblo.jp

 

聖書から教わったことメモ煮(ニ)。

 

🍙この記事は新共同訳に準拠します。

 

伝道師に失礼を働いた。詳細はSMSである。

やっぱり神の呪いはある。ヨシュア記に書いてある。

疲れた。。

2024/12/04 日記にも書いたが

悪魔教を崇拝しようかと思っている。やはり

だめだったのだ。こんな忌まわしい世界では決して

救われない。救われた気になっていただけだろう

わからないことだらけだ。人は信用できないし、

もう疲れた。。

家が良くても物が良くてもどうにもならない。。

やはり人は心なのだ!人は心だ!心が全てだ!

 

2024/12/05 聖書通読

とりあえず聖書通読はしている、というか再開した

昔は聖書痛読だった。今はある程度読める、そして

理解できる。それだけは変わったのかもしれない。

聴く聖書アプリは今現在は入っていない。

新共同訳の聖書で創世記(GENESISを読んでいる。

まだ10:55だというのに疲れが溜まっている。

もう何もかも終わりなんだろう。。

 

2024年12月11日 だめだ

なんだか第三の日記みたくなっている。

神の子 という讃美歌を聴いて少し励まされた

リンクを貼っておく👇

youtu.be

佐々木愛実さんのワーシップです。 歌詞がいい。

 

さて、通読はとりあえず忙しい中を縫って

続けているのだけれども、なかなか祈る気にならない

祈ることもある。祈るときはしっかり。

歌詞 引用

何ができても できなくても

何を得ても 失っても

ただ愛されてる 天の父に

私は神の子

 

12月13日(金) 好きな聖書箇所を書こう

デイリーブレッドのおかげもあり、少しは

祈れるようになってきた。感謝。

今朝は4:00に起きたのもあり、聖書箇所、

それも気に入っている箇所をメモしようと思う。

 

まずは、詩編23篇全体

1 賛歌。ダビデの詩

主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。

2 主はわたしを青草の原に休ませ

憩いの水のほとりに伴い

3 魂を生き返らせてくださる

 

主は御名にふさわしく

わたしを正しい道に導かれる

4 死の陰の谷を行くときも

わたしは災いを恐れない

あなたがわたしと共にいてくださる

あなたの鞭、あなたの杖

それがわたしを力づける

 

5 わたしを苦しめる者を前にしても

あなたはわたしに食卓を整えてくださる。

わたしの頭に香油を注ぎ

わたしの杯を溢れさせてくださる。

 

6 命のある限り

恵みと慈しみはいつもわたしを追う

主の家にわたしは帰り

生涯、そこにとどまるであろう。】

 

次に、申命記31章6節

6 強く、また雄々しくあれ恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれるあなたを見放すことも、見捨てられることもない。】

 

そして、ギデオン版聖書英訳ルカ伝11章4

4 And forgive us our sins, For we also forgive everyone who is indebted to us.

And do not lead us into temptation, But deliver us from the evil one."

和訳は以下、

4 わたしたちの罪を赦してください。

  わたしたちも自分に負い目のある人を

  皆赦しますから。

  わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」】

対して、新共同訳の対応部分は同様でした。

 

素晴らしい内容です。改めて読んで感動しました。

大きな力になってくれると思います。

 

2024年12月16日 礼拝の翌日㈪

昨日はとても久しぶりに礼拝を守れた

Christmasに放蕩息子なるぼくが父のもとに

帰った、と思っている。今まで散々背を向けて

きた。ながいながい30数年間の無神時代

暗黒時代といってもよい。

その後半、仏教、神道に出会う

それはかつての友のお陰だった。しかし、

その信仰は、ぼくの心を真に照らすことなく

最期に出会った光によって照らされた

義人の祈りではないので、無力か・・・

それでもぼくは祈りたい

今、静かな祈りの幕が降りる

 

2024/12/29 暮れも押し詰まる中

礼拝には行けなんだ。だが、祈る。

絶えず祈りなさい、と聖書に書いてある。

神様がいれば一人ではない。最強に心強い味方が、

ぼくにもついているのだ。

そして、福音を信じるすべての人々にも。

 

2025/01/19 年明けて…

オンライン礼拝を守った。

最近までオンラインでは礼拝を守れたことにならない、

と勝手に思い込んでいた。でも違う。よかった。

これも新しい礼拝のスタイルなのだ。

 

今日はルカ8章:26節より「正気に戻った人」という

タイトルだった。ど忘れしてどの地方かわからんが、

悪霊,何千もの悪霊に取り憑かれた人の話。

そしてイエスはそれを取り除く。

日本的に言えば祓うということか。

命じただけで悪霊たちは豚に乗り移り湖に雪崩込み

皆溺れ死んだ。

ここでも『ことば』の力だ。

神のことばには力がある。

「レギオン」とまで名乗っていた数々の悪霊をことば

一つでやっつける!ヒーローだ!

 

キリスト教

別名クリスチャン病。 2025/01/31

とは、なんぞや。それは身内に甘いこと。

身内の罪にとことん甘い!甘やかしている!!

身内が道徳的な、換言すれば道義的な罪を犯しても

まるで感知しようとしないのです。

クリスチャン、特にチャプレンなどの権力や権威を

持った方に多く見られる傾向。病。

「何をやっても悔い改めればだいじょぶだあ!」

と勘違いしているためか、人をディスっても何とも

思わない。そういう病です。

そしてそれはその人当人にも言えます。

クリスチャン当人の罪にも甘い!自分自身を

甘やかしている!

他人に「太ってるね!脚が太いね!私の何倍もあるよ」

とか言ってるクリスチャン。

「貴方には悪魔が憑いています」と偉そうに言っている

クリスチャン。

『家族のそういった発言の数々』を見過ごしている

クリスチャン。

みんな、地獄に堕ちますよ。

 

みんな地獄に堕ちるのか?

↑に書いたけど(この前ね) 令和7年2月13日

そんなことを言ったらみんな堕ちるのか?

今朝は久々に早天祈禱会へ行った。

様々なことが繋がり、学びへと昇華した。

それなのに、地獄に堕ちると書いたこと。

激情に駆られていたのでは、と思う。

やはり具合が悪いのだ。

精神的におかしいのだろう。

だから世界が歪んで見えるのだろう。

本当は美しいはずの世界や人々が醜く思えてしまう。

病気だ。

だがイエス様は仰ったのだ。

(病などは)神の御業が現れるためである。と。

だから、現れるまで祈りつづけよう。

困難だとは知りつつも、そう思う。

 

先日のことと今朝のこと

先日、この記事に 2025/02/18

(病などは)神の御業が…と書いた。

しかしながら、旧約では障害者の障がいはハッキリ

「汚れ」と書いてある。イエスのことばが大切、

と知りつつも、何度思い出してもショックを受ける。

 

また、伝道師さんが(あまりにも聖書日課から遅

れているなら)「レビ記は祭司のためのハンドブック

なので飛ばして良い」と仰っていたので飛ばした。

要はレビ記まで辿り着きその後の民数記を少し読んだところ。

旧約は読んでいて不穏なものや怖いところ、また

不要な部分が含まれると想う。

ぼくは神様の愛を感じられない。。

ぼくには価値がない、そう思っています。

汚い豚、聖書的に観てもそれがぼくです。

ある時は権力の犬かもしれません。

どちらもあの時代、忌み嫌われていた動物。

その2種類のほうが余程尊いかもしれません。

 

早天祈祷会からの冒険からの

今日はまた早天祈祷会。 2025/03/13

前回記載から一ヶ月も経ってますね!はやい!

ベオルとペオルについて質問してきました。民数記の途中で両方とも近くに出てきます。読んでみてね?

まずベオルはバラムのお父さん。

そしてペオルという名は山に付いてます。死海=塩の海の北の辺りです。すぐ北ですね。

聖書の出エジプトの地図だと死海の北に書くのは困難かな?そこで出エジプトの地図(2番)の次、3番の地図に書き加えましたよ。「ペオル山」とね。

祈っていきたいと思います。

皆さんが主とともにありますよう。

 

神は居ない…

神も仏もありません。居ません。 03/18

唯一の神も、神々も仏も霊もありません。

存在しません。

人間の空想、否妄想ですよ!

信じるだけ無駄です!!!

頭が悪いです!

 

神の存否証明

居ないものは居ない。 2025/03/19

無いものを無いと証明しろ、とは悪魔の証明問題。なにしろ無いことの証明なぞしようがないのだから。証明自体が不可能だ。

では、いるのか?そうはならない。信じる人の心の中にだけいる。そんなものだ。今これを書いているぼくの心に何かが働くなら、それは何か?

人間的思考、とキリスト者は断じるだろう。それがクリスチャンの体のいい言い訳だからだ。

悪魔の証明を持ち出して、できないからいるんだと言う方が余程どうかしている。こんなことに気付かないとはどれだけの盲信か?

待ち望めといわれ、散々待ち望んだ。だが!何も得られはしなかった!!何の応答も、反応も、おまけに手応えもなかった!歯ごたえすら無い!

これほど無視する神とは何者か?それは無ではないか?だが、万に一つということもある。しかし、証拠はない。醜い神の歴史が聖書に散々書かれているだけだ!

こころに宿るもの、なのだろう。それを持たない者には聖書によれば天国にはいけないのだから、地獄が待っている。なんともおかしな教えだ。

心に引っかかるこの感覚は過去の因習からか。何なのかわからないが異教徒(他の宗教の徒)はこれを読んで喜び踊る。だがハッキリ言っておく!お前たちとは元々巣穴が違う!俗悪なる馬鹿共とぼくを一緒くたにするな!反吐が出るわ!お前等は汚い寮やウサギ小屋にでも住んでいれば良い!お似合いだ!

 

2025/03/20(木)

教会では「ソレじゃだめだ」「君太ってるね」「体重何キロあるの?」といった失礼極まる暴言から、「ヒトデナシ」という悪口、「気持ち悪い」という陰口(聞こえる程度の類)、「君はキリスト者の仲間ですら無いんだ」といった牧師の声など、枚挙にいとまがない。

教会は聖なる場所ではない。邪悪に包まれた悪魔の集う場なのだ。投げ銭を期待するが如く、献金を期待する。金の亡者なのだ。その癖、面倒くさいことには億劫がり、いつまでたっても役割を果たさないといったなんとも、人間的、なんとも、人間的な!人たちばかりである!悪い意味で、に決まっている。

しかも今どきの教会は閉じている。クローズドだ。西洋では一般に開かれた教会が多いが、日本の教会は閉じているのだ。これでは気軽に訪れようとするのは無理からぬことなのである。

集会の時間になっても、玄関がクローズド、ということは多かった。インターホンをわざわざ押して、呼び出して、やっと許可されて入れる。勿論日曜礼拝など例外もある。そこまで閉まっていたらもうゴミだろう。

インターホンを、押す場合でも中に人が居なければ意味がない。誰もでてこない中待ちぼうけである。

今日はいろいろ不満点を書いてみた。

 

もっとあった不満点

それはね、二つですよ。 2025/03/22

大きく分けてね。一つは、牧師と伝道師の娘に個チャLINEで「悪魔が憑いている!」と言われたこと。

もう一つは、キリスト教の誤り。それは「誇りを失わせたこと」。キリスト教ではいろんな文書に「誇り」特に個人の誇りを棄てよ、と説いています。誇りにすべき、唯一のものは「神」であり一人の神なのです。三位一体の神でもある。三位一体とは3つの位格をもつ、例えば男性なら、父・息子・夫、のように。顔は違えど一人の人。これが神版になったと思えば良い。その一人の神だけを、誇りとし、あとの誇りはプライドだろうと威厳だろうと矜持であろうと棄てよという。

こういった様々な問題からぼくは離れたのである。また、前者の問題に対して何度伝道師にアプローチしても、「そう思わないでください」としか言われず何のカバーも繕いもなかったこと。これもとても疑義を抱くに至った。

キリスト教キリスト教会は欺瞞と嘘に満ち溢れています。この神の多い国日本では苦戦しているのか、人口は1%だそうです。以前は2%と言われていたので堕ちたものです。

高齢化とは関係ありません。現に仏教・イスラム教・神道では徒がいるのですから。

 

最期の試み、それはヨブ…

ヨブ記だ。 2025/03/24

ヨブ記だけ、一通り読むとき飛ばしていたことを思い出した。このままでは「聖書を読まずして批判している」という批判は避け得ない。だからヨブ記を読んで終わることにした。

これで、すべて終わりになる。聖書の中の旅はこれで終わりだ。もう読むこともないだろう。後は読み終わるのを待つだけ。

(「夜に駆ける」by YOASOBI を聴きながら)

いつの日も 夜中のような 闇藻掻く

 

14歳からの哲学 池田晶子

叔父さんからのオススメでこの一冊に出逢った!寸分違わぬこの一瞬に、今!読んでいる!正確に言うと読んでいた! 2025/03/27

一旦切り上げておこうと思い、こちらの筆を執った次第。もしも、この一冊に出逢っていなければ、ヨブ記を読了しても、決して正しい地点に辿り着けなかったのではないか?!まず此方の完全読破を目指し!その後にヨブ記を続きから読破する!その時こそぼくの哲学観、聖書観ができあがってくる!

そんな気がしている。何故かはよくわからない。だが!!ここに一つの命題が生まれた!

それは、「世の中の人々が神を信じる理由が、周りが言うから、聖書に書いてあるからと、周囲や本のせいにするのに対して、ぼくは徹底的にことの核心に迫り、神様は神様であり本当に居るんだと思えなければ信じない!確かめるまで絶対に、止めない!深掘りし続けるぞ!」という気概によるものだ!

この気概、やる気もまた、神信仰に失敗した或いは挫折したといえるか、兎も角はこの挫折の様に、同じ一途を辿るかもしれない。それでも今は燃えている!

情熱を持って取り組む。やらねばならぬ。「ぼくは、ぼくが、神様はいると考えるから、信じる」と言えるようになるために!

もしその結末が、「神は居ない」であったとしても、その時はもうモヤモヤしてはいないはずだから。

 

いろんな悔い…モヤモヤを

キリスト教プロテスタント教会ひばりが丘北教会の一連の対応や、デイリーブレッド有限会社の対処の遅延により、非常にモヤモヤしております。 2025年4月11日

「神は居ない」との心的結末が出たことで、それはモヤモヤはしていない。ただ、ここのところの一連の教団などの対応が非常に拙かった。それが心に靄をかけている。

一言でいえば「許せない!」といったところか。ひどすぎる。辞めていくものには冷たいのだな、と。これでは悪徳集団YLカレッジと同じではないか??!

同じひば北の地域にあるから同じ属性なのかな?

朱に交われば赤くなると、言いますし。

キリスト教は人間を愚劣にする!ハッキリとわかった。もう二度とぼくの人生ではキリスト教がかかわることはないであろう!ただし聖書知識の引用くらいはする。聖書はキリスト教だけでなくユダヤ教とも関係の近しい文書であるから、だ。それにイスラム教は聖典コーランにしているが、律法書などは関係が深い。そうした学びからは得るものがあるかもしれない。そうした余地は冷静に残しておきたい。

せっかく頂いた聖書である。英語では単にバイブル(本)に過ぎないが、思いついたときに読んでみようと思う。ただ、二度とひばりが丘北教会へは足を運ばない。

とはいってもあっちには床屋がある。なんであんな近くに、しかも盛り場に教会があるんだか。厭になる。だが!決してぼくの世界を狭めさせはしない!!するなら目には目を歯には歯をだ!

 

2025/04/23

摩利支天信仰!これに暫く賭けてみようと想う。マリシテンだ。オンマリシエイソワカと唱える。キリスト教とは益々縁遠くなる。最早関係なくなる。聖書はただの記録の塊だ。なんがしかの。

悪いがぼくは生きさせてもらう!

生きてやる!!!

たとえ歩けなくとも。だ!

 

5/22(木)福音派は…

キリスト教福音派は目に余る。人工妊娠中絶の禁止化等々、問題はあちこちにある。やはりキリスト教は問題がある。

だが、人の心の拠り所になるなら、存在していてもいいか、とは思う。これも少しばかりではある。他の教徒に迫害を及ぼさないならそれはそれで。

ただし、勧誘しないことが最大の条件だ。基本的に仏教や神道では勧誘はする必要はない。しない。それをするのは少数の一派だけである。数が少ないから存続させようと躍起になるのである。

自然に任せるのが一番。

 

 

 

ご覧下さり感謝いたします。

ありがとうございます😊

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